Pigment Blue 35+



 流行り廃りなんてあっという間に切り替わるもので、世間を騒がせたカラーギャングの名前もまた、当時の派手な報道の割にはあまりにも簡単にこの街から消えていた。
 ドラマのタイトルのように、知っているひとからしたって懐かしいものに変わっているだろう、ブルースクウェアというチーム名を名乗らなくなって暫く経っても、別に俺たちの日常は変わらなかったし、相変わらず集まっている連中も似たような面々だった。大人しくしていろ、なんて忠告されても騒ぎを巻き起こすような馬鹿ならば、とっくに篩い落とされていたのもあるだろうか。
 日常は至って平凡に、それでもそれなりに騒がしく過ぎている。
 代わりのように台頭してきたダラーズなんて名の奇妙なチームに顔を突っ込んでいるやつも数える程度で、それだってひとつの思惑によるものでしかなかった。退屈を飼い慣らすことにかけては黒沼青葉という級友の右に出るものはいないなんて考え方がもう俺たちの中には染みついていたのだ。
 変に頭のきれる子供が集まると厄介だなんてことを、大人たちは何処まで知っているだろうか。
 それでも端から見れば俺たちは相変わらず、ずいぶんと大人しい部類の中学生以外の何でもなかった。

 進路指導室と札の立った狭い資料室に、生徒が足を運ぶことはあまりない。
 中高一貫教育を売りにしていることもあって、中学からの外部受験生なんて毎年両手に数えられるくらいしかいなかった。
 小学校から大学まで、余程のことをしでかさない限りは推薦制度を利用して進むことができたし、そもそも大学受験まで視野に入れるならば高校にそのままあがったほうが効率が良いのだ。
 有名私立なんて看板が役に立っているだろうことは毎年公表される数字が証明していた。
 なんて、まあ、そんなことを考えるのはむしろ親たちのほうだろう。
 実際のところはきっとただ、高校受験なんて面倒なことにわざわざ自分から首を突っ込もうという風土が、この校内にはなかっただけなのだ。誰だって楽をして進学できるならそれを選ぶだろう。授業でも部活でも自然とその延長に高校生活が待っていることを予感させていた。
 だからそのことは自然と、別に気にしていたわけでもないのに耳に飛び込んできたものだ。騒ぎ立てるわけでもなく、だからと言って広まらないこともなく実しやかに囁かれていた。珍しくその部屋にこのところ頻繁に青葉が足を運んでいるという、それだけの話が。
 気付けば周囲にいるのは小学生の頃から変わらないような面々ばかりで、それは一種閉鎖的な環境だったとしか言えないだろう。
 神の名の下に集ったなんて文句は少しばかり似合わないような連中ばかりが俺のまわりにはいたものだけれど、それはそれで悪くないような気がしていたものだ。
 仲が良いわけでも悪いわけでもなく、俺たちと青葉の間にある関係性は少しばかり歪な形をしている。
 青葉が誰より周囲の人目を惹いたのは、その風貌以外の何でもなかった。多分、初めの頃は。
 まるで水槽のように仕切られたこの空間で形成される人間関係なんていつでも世界の片鱗でしかないのだけれど、まるでそこでしか生きられないような錯覚を覚えるのは仕方がない。それだけに掌握することもまた難しくはないのだともうそれは身に沁みた事実でしかなかった。
 ブルースクウェアの名前を知っていようといまいと、その中心核にいる青葉と八房のふたりに逆らうやつなんて校内ではもうそろそろいないだろう。その足許で知らぬ素振りをしながらも従順である俺たちに至っては、言うまでもない。
 俺たちを取り巻く環境はきっと、大人たちが知るよりももっと歪で、複雑なものを含んでいるのだ。


「――どうした?」
 集まるのは大抵、学校の片隅にある礼拝堂だったり、無駄に広い図書室だったりしたものだ。
 それだって学内では目立って集団活動をしていたわけでもない。集まったところで誰かの目をひくような問題児ではないのだけれど、そういうことをこいつが誰より好まないことを知っている。
 少しばかり埃くさい部屋の窓を開けてから目の前の椅子をひくと、当然のように青葉が少しばかり怪訝そうな顔で資料から顔をあげた。
 広げられた願書を手に取ると、来良学園と街では見慣れた名前が落ちていて僅かに口許が歪むように笑いを零した。ああ、やっぱりな、なんて具合に、軋む椅子に背が揺れる。
「いんや、本気で転校までするのかと思ってさ。なんか噂になってたからさ」
 ぴんっと指先から弾くように揺らした冊子が簡単に、目の前で抜き取られる。頬肘をつくように向けた視線の先で、細い肩が気だるそうに軽く竦められた。
「その方が都合がいいだろ」
 だなんて落ちてくる声は愉しそうな棘を含んでいる。
「あー……あのタイプは外から近付くのは面倒そうだけど、直々におまえが行くとは、ね」
 竜ヶ峰帝人なんて名前ばかりが大仰な人物のことを、知ったのは春先だっただろうか。
 相変わらず正体の知れないダラーズの創始者だろうなんて、俺たちの推測が何処まで合っているんだかは知らないけれど、この頃では随分と確信にも近く語られるようになっていたものだ。
 何処かの企業以上に面倒な作りになっていると単調そうに見えたサイトを相手に珍しくあの八房が匙を投げたのもあるだろう。ネットの世界でも現実でも、情報をかき集めたところでそう簡単には彼に辿りつけなかっただけに、最近の青葉の関心事は随分と彼一人に注がれていた。
 あのひとを取り込もうだなんて、まるで駒を入れ替えるような発想が何処まで本気だろうかと、思わなくもなかったのだけれど。いつだってこいつの作戦に、ノーという奴なんて、いやしないのだ。
 来良に通っている年長からは、ダラーズの創始者と黄巾賊のあの「将軍」と肩を並べて登校しているだなんて、考えてみれば奇妙な話まで舞い込んできた。なんて、そんなことは深くまで俺たちが考えることでもないけれど、彼に関する懸案事項なんてその頃はまだ、その程度でしかなかったのだ。
 いつだってすべては計算されていて、無謀な賭けはしない。
 それでも、踏み出すよりも早く、
「別に、春から想定はしていたし……下手を打つわけにもいかないからな」
 なんて、随分と慎重になるようになったのは割合と最近の話だ。
 少し前までダラーズの掲示板を騒がせていた話題に顔を突っ込んだそのときに何があったかなんて、一緒になって動いていたのだから知らないわけでもない。けれど事の顛末よりもむしろ、反吐が出る、と思わず零したような硬質な響きのほうをやけに強く覚えていた。
「……ああ、折原臨也か」
 いつでも、愉しければそれが全てだ。
 思考回路なんてもう疾うにこいつに預けているのだ。それでも、揺れ動くような言葉を持っている大人の干渉なんかは好まない。
「状況が変わったんだよ」
 ブルースクウェアに誰よりも思い入れがあるのはきっと青葉だと、それはもしかしたら、「あちら」側にはいけないだろう俺の願望のようなものかもしれない。
 人間がすべて好きだという男と青葉は、きっと本質的な意味では近いような気がしていた。誰も特別視しない青葉が、それでも世界から切り取るものを俺はいつでも少しだけ気にしている。

「ま、美術系の充実したとこ探してはいたから丁度良いと言えば良いんだけどさ」
「あはは、部員二人とかだもんな、お前んとこ」
 薄らと細められた視線に籠められた意味に、気付かないほど馬鹿でもない。
 素知らぬ顔で笑って飛び込んでみせるくらいしか出来ることなんてないのだ。捨て駒なら、それらしく振る舞うことに長けていればそれで良いだろう。それ以外の何を、求められることもないと知っている。
「来良ねえ……なんて説得しよっかな、」
 窓から落ちてくる風は、嵐を予感するように少しだけ肌寒い。埃が揺れて少しだけきらきらと目の端でカーテンをはためかしている。
 肩を竦めるような仕草に腰を起こすと、秋の色を帯びた木々が手の上に長い影を落としていた。