日溜まりでは溶けてしまう。
大通りの人波がこちらの姿を認めてはそれとなく左右に分かれていく。
池袋は通い慣れた街で、黄色の布を纏っていた頃からある程度注目を浴びる存在だったけれど、それとこれとは話が違う。周囲から寄せられる好奇の視線は時間が経つごとに数を増して、落ち着かないことこの上ない。厳密に言うとその視線の先にいるのは正臣ではなく別の人間なのだが、その隣にいる彼の存在も珍しいには違いなく、視線は遠慮なく突き刺さってくる。
世の中、自分の思いも寄らない出来事が起こるというのは充分に思い知ってはいたけれど、池袋の喧嘩人形と呼ばれるあの平和島静雄と並んで歩く日が来るなどと、一体誰が考えただろう。心の内でそう零した正臣は、視線だけでこっそりと隣を歩く男を伺う。
勿論二人きりではなく、隣には彼の上司であるトムさん(そう呼べと言われたので遠慮なく呼ばせてもらうことにする)もいるのだが、だからといってこの思いも寄らぬ状況の説明になるわけもない。この前一緒にいた金髪の綺麗なお姉さんが、今日は居ないというのが残念といえば残念だ。
「どうした?」
「あ、いえ」
落ち着かずに首を回した正臣の頭上から、どこか長閑な声が振ってくる。魔人だの何だのと言われ恐れられている男は、こうやって一緒に歩いてみると、気配りもすれば笑いもする、随分と普通の人間だった。元々口数の少ない人種なのか、並んで歩いているといっても特に会話が続くこともない。けれど、それは不思議と居心地の良い沈黙で、息苦しさはちっとも感じなかった。
情報収集に来ていた池袋でばったりと彼等に会い、以前の襲撃騒ぎで流れてしまった食事をと誘われるままに一緒に歩いている。正臣としては彼らに聞きたいこともあったので、そういう意味では渡りに船だ。
久々に歩く池袋の街は、多少店の入れ替えがあるにしろ、正臣の良く知る街のままだった。学校帰りによく行ったコンビニやファーストフード店、移動式のクレープ屋なんかも覚えているままの姿でそこにある。
馴染みのある場所が食べ物に関する店ばかりだというのがいかにも普通の高校生らしくて、自分の事ながら笑ってしまう。でもそれは正臣の好みというよりは、一緒にいた帝人達を考えての選択だった。下手すればずっとどきまぎしていそうな帝人と杏里に少しでも会話をさせるには一緒に食事をするのが手っとり早かったのだ。
そう、自分のことなんて気にせずに、あいつらはあいつらで仲良くやってくれればと思っていた。帝人が杏里のことを好きなのは丸分かりだったし、杏里だってまんざらじゃない様子だったから、くっつくのは時間の問題だと、そう思っていたのに。
血で汚れた顔で、柔らかく笑う帝人を思い出す。
あいつは、変わってしまったんだろうか。
俺は、何をどこで間違えたんだろう。
自分ができることだったら何だってしてやると思うのに、何をしてやればいいのか全く見当がつかない。
――ぐしゃり。
「えっ⁉」
思考に沈んでいた正臣は、唐突に頭に圧力を感じて目を見張る。ぐしゃぐしゃと強い力で髪をかき回されるその感触は、それでも決して嫌なものではなかった。
ええと、これは、誰なんだろう。なんて、思考は咄嗟に逃げの姿勢をとったけれど、自分が瞬間移動したのでもなければそんなことは明らかだ。
ぐっと息を飲んで勢い良く振り仰ぐと、池袋最強と呼ばれる男はきょとんとした顔で正臣を見下ろしていた。サングラスの奥の目が、パチンとひとつ瞬きをする。
「あ、いや、……わりい」
なんか手が出ちまったんだよな。
彼はそう言うと正臣に延ばした手を引っ込めると、ゆるく握って開いてを繰り返した。どこか不思議そうに自分の手を見つめる彼の前で、正臣はといえばあまりの衝撃に固まったままだ。
撫でられた……んだよな? あの平和島静雄に。
それはあまりにも予想外の展開だった。今までも散々そう思ってきたけれど、その中でもこれは最大級だ。頭に触れたその感触は、大人の大きな掌そのものの感触だったけれど、正臣が思っていたよりもずっと細くて節ばっていて、子供みたいに暖かかった。
「気にすんな、こいつ弟いっからな」
スキンシップくらいに思っとけ。
固まったままの自分を見かねたのか、トムさんが苦笑しながら声を掛けてくる。
「でもまあ、そんな思い詰めた暗い顔してりゃあ、静雄だって心配するわな」
……ああ、そうか。俺は心配されていたのか。
正臣は不思議な気持ちで、怪物と呼ばれる男をまじまじと見上げる。彼はトムさんの言葉を受けてやっと自分の行動に合点が行ったのか、なるほど、と頷いていた。
「ええと……ありがとう、ございます?」
どう反応していいか分からずにとりあえず礼を言うと、彼は小さく目を見開いてから困ったような顔をした。それから、照れ隠しのようにそっぽを向くと、またわしゃわしゃと正臣の頭を撫でる。まるで動物相手にするようなそれが妙にくすぐったくて、正臣は思わず笑ってしまった。
「ほれ、そろそろ行くべ」
苦笑しながら柔らかい溜息を吐いたトムさんの、その言葉に促されるようにして歩き出す。背の高い二人に挟まれるようにして歩きながら小さく息を吐けば、メンソールの匂いに混じって初夏の日溜まりの匂いがした。
●優しい場所になればいい。
お人好しを気取るわけでもいい人ぶるつもりも毛頭無いが、それでも息苦しそうにしている子供につい声を掛けてしまうのは、もう性分なんじゃないかと思う。
静雄に頭を撫でられた坊主(正臣とか言ったか?)が、どんな顔をしていいのか分からないと言った様子で固まっている。その表情が、初めて自分と会話した時の静雄の表情の様で、トムは思わず苦笑した。確かに静雄を外聞でしか知らない人間からみれば、彼のとった行動は衝撃を受けるものなのかもしれない。けれどトムから見してれば、実に彼らしいと思える行動だった。静雄自身に自覚は無いらしいが、おそらく彼は随分と真っ当に愛されて育った人間なのだろう。それでなければ、あれほど真っ直ぐに両親を慕えるはずは無いし、こんなに自然に他人を思いやれる訳は無い。
そう、静雄は理屈とは全く別の、本能みたいな部分を使って真っ当に他人を思いやれるのだ。だからこいつの周りにはどうしたって人が集まる。多分、どこかが欠けた人間達が。まるで、猫が日向に集まってくるかのように。
先程から時折顔を曇らせるこの少年は、思い悩んでは身動きが取れなくなるタイプに違いない。
なぜ分かるのかと言われても、昔からこういったことが手に取るように分かるのだからしょうがない。こちらとしてはなぜ分からないのかと逆に不思議に思うのだが、自分が他人との距離を測るのが上手いと言われる所以がこの性質にあるということも、なんとなく察していたりする。
別に自分達が居ようが居まいが、この少年の悩みには何の関係もないだろう。それは恐らく、彼自身が納得できなければ解決できない類いのものだ。けれど、それならせめて、この猫が集まる溜まりで、ちょっと休んでいけば良いと思う。
静雄の掌の下で年相応の笑顔を見せる彼を見ながら、そこがこの大人びた子供にとっての息継ぎの場所になればいいと、酷く勝手な事を思った。