閑話休題


「あのさあ、帝人先輩。女装して潜入調査しろっていうから気合入れてきたのに、あれ、女装が趣味の男ばっかりの店じゃないっすか。しかも主にゲイ向けの。先に言ってくださいよ……」
 雑居ビルと雑居ビルの間。雑踏と車のエンジン音と街の灯りが洞窟の終わりのように見える薄暗い場所で、帝人の前に立っている男ががっくりと肩を落とした。
 その明るい場所から届く光が、うっすらと男を……青葉を浮かび上がらせている。
 青葉は自ら着込んでいるセーラー服のリボンを力なく引き抜いた。とはいえ、身長は帝人とほとんど同じくらい、高校も七年前に卒業した男がセーラー服というのも珍妙極まりない。
 いわゆる女装バーの裏口を出、しばらく歩いた大通りへと繋がる手前の場所で帝人と青葉は待ち合わせをしていた。予定通りの時間に帝人のもとに現れた青葉だったが、セーラー服のまま何故かひどく膨れている。
「もっと女の子に混じっておっさんの行動を調べるのかと思った。店に愛人がいるらしいって言うから……てっきり……。男ばっかりだったから、俺の女装は浮きまくってましたよ」
「なんで? すごく似合ってるよ」
 青葉が何を言いたいのかよくわからない。とりあえず贔屓目抜きに似合っていると思う。少し背の高い女の子と言っても十分通じる。童顔とはいえ、化粧をしているせいかさすがにコスプレに見えたけれど。
「似合いすぎるから問題なんすよ。一部からは変に嫉妬されるし、ちゃんと可愛い女子に見えるから、ゲイにはあんまりモテないし」
 ゲイ向けだの女装だのそんな単語の区別がつくようになるなんて青葉は凄いなと思う。帝人にはわからない。しかし、何にせよ目的は別にあった。帝人はゆっくりと口を開く。
「……それで、どうだった? 何か情報つかめた?」
 帝人の言葉に、青葉が大きく溜息をつく。
「スルーですか」
 高校卒業後、紆余曲折してなんとなく探偵兼情報屋……嫌な響きだけど他にいい言葉が思いつかない……を始めた帝人のもとに青葉がふらりとやってきたのは数年前のことだ。
 青葉は『大学卒業後の就職先がなくて』と言ったまま傍にいついてしまったが、さすがにブルースクウェアを裏に表に操っていただけのことはあり、顔が利く。そしていつまでも帝人に対して一応の尊重をしてくれるのもありがたい。嫌な言い方だが、青葉みたいな手駒は非常にありがたいのだ。こんな言い方では、もはや自分はもう、あの人と何も変わらないじゃないか……と思いながら、帝人はひとり笑った。
 青葉は何を思ったか、再び深い溜息をついて口を開いた。
「確かに某社の社長さんはいらっしゃいました。気持ち悪い女装をしてね。だけど、あの中に愛人がいるかどうかはちょっとわかりませんでした。……相当金は落としてそうでしたけど。俺もケツ触られたし、勘ですけど、あの人はヘテロじゃないかな。女好き……もしくは少なくとも可愛いものが好きだと思う。もしも更に監視しろってことなら、今度は店の外までついていったほうがいいと思います」
「じゃあ、ちょうどいいじゃない。ちょっと落としてきてよ」
 何の気なしに言い放つ。
 それならいい。脈がありそうならそのまま落として弱みを握ってほしい。正直な気持ちでそういうと、青葉は少し長めのウィッグを毟り取る様に外してガリガリと頭を掻いた。これでもまだボーイッシュな女の子に見えるな…なんて変なことを思う。
「正直に言えばね、俺よりも帝人先輩がセーラー服着てそのまま潜入調査すれば、一撃だと思うんですよ。あんたなら化粧しなくてもいける。地味目な感じで絶対に合うから」
「えっ、無理だよ。無理無理」
 何を言ってるのだと抵抗すると、青葉は切り込むきっかけを見つけたみたいににやりと笑った。
「俺、帝人先輩が、ああいうオジサンだかオバサンだかわからないのにぐっちゃんぐっちゃんに凌辱されてるところ見たいなあ。ねえ、この場でいいから、ちょっとセーラー服着てみません? ……なんだってするよ、帝人先輩のためなら。でも少しくらい俺にも餌をくれてもいいでしょう?」
 冗談めかしてそう言って、引き抜いたセーラー服のタイを帝人の首筋に回してきゅっと絞めてちょうちょ結びにした。
「似合いますよ」
 前半の台詞はともかく……正直に言えば、別にセーラー服を着ること自体は大した苦ではない。だけど、今ここでこの言葉をあっさり受け入れることによって、今後発生するだろう青葉からの要求を帝人は天秤にかけた。
 まだ、いけるはずだ。餌は無くともこの犬は走ってくれる。
 ……ふと、こういう損得でしか物事を考えられなくなった自分を空しく思うけれど。
 帝人は一歩、青葉に歩み寄った。
 そのまま鼻と鼻が触れそうなほど顔を近づけてみる。少し、青葉が目を見開いた。
「僕は別に君のそのセーラー服を着てもいいよ。その代わり、君が裸で帰ってくれるならね」
 無理だろう? とは言わず帝人は戯れに青葉のプリーツスカートのサイドファスナーを半分下ろした。
「………帝人先輩がセーラー服着たままバックからガンガンやらせてくれんなら、裸で帰ってもいいけど」
 動揺しながらも、青葉が言い捨てた。
「最低だね、君は」
 笑って見せる。
 その酷薄な笑顔に気づいていないのは帝人だけだ。「最低なのはどっちですか」と小さく呟いて、もう一度青葉が深い溜息をついた。